日本語のコメント

私は自分でプログラムを書くとき日本語のコメントは絶対に書かない。そもそもほとんどコメントを書かないが、仮に書くとしても英語で書く。コメントをたくさん書いてプログラムを分かりやすくしよう運動なるものがあるが、あれは間違いであると信じている。コメントに書いてある通りにプログラムが書いてあるという保証はどこにもない。コンパイラはコメントをコンパイルしないのである。だからコメントがウソでもコードが正しければ、プログラムは正しく動く。逆にコメントが正しくてもプログラムが間違っていればプログラムは正しく動かない。当たり前。
それよりもコメントなど必要ないほど、読んで惚れ惚れするようなコードを書くべきだと信じている。実際オープンソースとして世に出回っているコードの中には美しと呼ぶに値するコードがいくつもある。例えば、Xavier Leroyが書いたocamlのコードは、それこそ惚れ惚れするほど美しいと絶賛されている。美しいプログラムというのはコードそのものが美しいのであって、コメントが美しいのではない。
プログラム言語というのは、そもそも(予約語などが)英語だから、変数名や関数名に適切な英語を使うことによって、「英語として読めるプログラム」ができあがるように設計されている。だから、コメントで誤魔化すのではなく、プログラマは英語をもっと勉強して「英語として読めるようなプログラム」を書くべきではないだろうか?因みに先のXavier Leroyはフランス人である。
某編集担当に、コメントを訳せ!と怒られ、訳している最中の感想…(笑)。