黒沼克史氏

故人である。4年前に40代で亡くなった。肺ガンだったと聞いている。ノンフィクションライターで、代表作は「援助交際」。1996年の流行語大賞の最終選考10人まで「援助交際」が残って、その言葉の代表者としてステージに上がったと自慢してくれたことがある。同じ年の流行語大賞に最終選考まで残ったのは有森裕子の「自分で自分を褒めてあげたい。」とか長嶋茂雄の「メイクドラマ」があり、彼らと並んで立っていたそうである。
実は若い頃の一時期、彼には非常にかわいがってもらったことがあり、一緒によく遊んだ。当時彼はテニスの月刊誌にページを持っていて、取材で何か困ったことがあると、前日の夜とか当日の朝、いきなり電話をかけてきた。「モデルやってくれない?」とか「カメラマンやってくれない?」といった無茶苦茶な要求が多かった。また、彼は草野球のチームに所属していて「対戦相手がドタキャンしたので明日までに9人集めて荒川河川敷のグラウンドに来てくれない?」などという要求もあった。もちろん全部何とかこなした。ただ、私が社会人になってからはずっと音沙汰がなく、10年程前に1度会ったのが最後だった。
彼の葬儀は通夜、告別式共に列席させてもらった。人が死んだことで、生まれて初めて泣いた。本当に声を上げてオイオイ泣いた。どうしても押さえられなかった。
そんな彼が、本を沢山書いていることは知っていたが、読んだことはなかった。亡くなったのを期に「援助交際」を含め手に入る本5〜6冊を購入し、一通り読んでみた。それらの本の中に「少年にわが子を殺された親たち」というタイトルの本があった。これはなかなか重い内容で、辛くて最後まで読み切れなかった。しかし、その中に次ようなフレーズがあったことを記憶している。「葬式というのは故人のために行う儀式ではなく、生きている人のためのものである。その人は死んでしまったのだ、ということを生きている側の人に納得させるためのものだ。」言い回しは正確ではないが、大体このようなことを言っていた。まさか彼は、自分が死んだときに、自分の書いた文章で、それを納得しなければならないと思う人が出てくるとは夢にも思わなかったのではないだろうか?彼の葬儀でもそうだったが、昨日もある人の葬儀に出て、納得させられてきた。少し泣いた。